3月2013

覚書のような、そんな感じで。

合唱で吉野弘作詞の「みずすまし」という歌を歌いました。

歌詞はこれです。みずすまし
(歌詞をtweetするとバッキンとか聞いたのでリンクしてみた)

詩人は様々なモノを擬人化するようで。
雪の日にという詩は雪が思ってる以上に白く純潔な印象もたれててこまるわーって言ってるし。
で、このみずすましなんだけど、リンク先見ていただいてその詩を読んでいただくとわかると思いますが、
みずすましだけでなく水までもが感情があったりとか。
ちょっと落語の世界に近い気がするのですがいいのでしょうか。
なんて斜め上から書いてますが、結構練習では真剣に「みずすましに対する水の気持ち」を考えました。
みずすましの骸を抱きとって深い水底へ連れていく「水」。
その「水」は生きていた時のみずすましにはそうやって抱きとめる優しさを知らせないんです。
さて、それはなぜでしょう?

死というのはおそらく「未知なる世界」であって、おそらく「天国のようなところ」であって、「ここちよい」んだと思います。
多分死ぬ瞬間が、まさに死ぬほどつらいだけなんでしょうね。
そういう観点から、みずすましに死と水の優しさを水が教えなかったのは、そういう甘美な世界として死を妄想するべきでない、
日常という分厚く反発する厳しい現実から目を背けないように知らせるべきでない、ということなのかなぁ、と思いまして。

それとね。(これは先生の話を聞いてないとつながっていかない話なのかなぁ)

みずすましの骸を「優しく抱きとめて」というところを「遺体=神聖なるもの」と仰っていたのに実は違和感感じました。
死って民俗学では「穢れ」だったんですね、大雑把にいうと。
(神社で葬式しないのは穢れを持ち込まないためという理由もあったり)
なので先生が例えのお話をされていた時も、今の感覚ではご遺体という表記にもなんの疑問も持たないし清拭することも故人もさることながら家族にとっても大事なことだとは思うんだけど、「お清め塩」ってじゃあなんで使うの?って思ったりしたんですね。

だからみずすましが死んで骸となった時の水の優しさって、じゃあいったい擬人化して考えるとなんなんだろう?と思いまして。
水を人として捉えるの、ちょっとわからないんです。

普段、コードのことばっか考えているので、実は「解のない解」ってすごく気持ちがいいんです。
ヒトに戻ったみたいで。普段は脳みそが半分ゼロとイチで動いているんだと思います。
でも、こうやって歌詞を考え身体使って歌を歌うと、DNAっつーか細胞っつーか、そういうのが息を吹き返すんでしょうね。

遊んでばかりです

先週の月曜日に初めてのクラシックコンサートへ行ってみたり、
21---1
水曜日は練習の後にびすとろUOKINに行ってみたり、
週末は上諏訪の呑みあるきに参加してみたり、
遊び歩いております。

呑みあるきの写真はこちら→ 相変わらずのfacebookアルバム「20130323上諏訪街道春の呑みあるき
今週はそんなことありません。
やるべきことがてんこ盛りです。
遊んだので今週は頑張ります。

Smokey&Co.

というお酒をご存じでしょうか。

1990年頃発売されたフレーバーウィスキーで、3種類ありました。
ラベルに描かれた5匹のニヒルなワンコが特徴的で。
http://hasegawajizake.ocnk.net/product/176
残念ながら94年には販売が終了したということでした。

この酒、好きだったんです。
見た目から入るわたし的にパッケージが黒1色だからという理由で吸い続けたJPSのように、やはりこのラベルに惹かれてまださほど酒も強くないのに粋がって一生懸命ウィスキーをちびちび飲ってたんですね(笑)ああ恥ずかしい(笑)
そんな頃の話を最近ちらっとしたのですが、見つけていただきまして。
届いた箱を開けた瞬間、思わず「うわぁっ…!!」と感嘆をあげてしまったほど。

374463_575898339096019_883782227_n
暗い写真で申し訳ない。
この酒を呑んでいた当時の、住んでいた生家の居間や黒電話、古いサッシ、独特な音の鳴る階段、猫、食器、…などなどがぶわーっと蘇り、思わず涙がこぼれてしまいました。

CM自体の動画は諸事情で削除されとりますが、カールスモーキー石井とCharというめちゃくちゃすごい組み合わせのCM曲はこちら。
めちゃくちゃかっこよすです。
http://www.nicozon.net/watch/sm1472388

飲みたいけど、もったいなくて飲めないなぁ。

もういっちょ

無心に影とか描くことがめっさ気持ちいかったりして。

ちゅーわけでまたAgnusDei
14---1

元ネタは、AgnusDeiでぐぐった画像から。
描きやすそうなものを選んで見ながら描いてます。

ホントはいろいろ書き溜めてる文章あるんだけど、それ掲載するより羊描いてたいわ。って思って。

Agnus Dei

なんか色々講釈垂れようとしたけど、何がしたかったかというと、
この「聖なる子羊」っていうモチーフを書きたかっただけだったんだ。

のちほど書いたのうp。

さてのちほどです。
(新規投稿から1時間ほど経過)

20130311AgnusDei

子羊のモコモコを書いてるのが一番楽しい瞬間だったような(笑)
んでもってモチーフのひとつ、胸から垂れる血を忘れてしまっていた。

Agnus Deiとは→http://dic.nicovideo.jp/a/agnus%20dei
だいたいこんなイメージ→画像検索

奥多摩で味噌作ってきました。

味噌作りの話はfacebookのアルバムを公開しているのでそちら参照ください。

20130309奥多摩の古民家にて味噌作り

別に分けなきゃいけなかった訳でもないんだけど、こちらにはfacebookに載せていない話でも。

107
待ち合わせまで30分もあったので川べりをうろうろ。
カヌーやってました。

110
あ!鳥居!なんだあれ!山王鳥居の変形か!とかワクテカで近づいて行ったら掲示板の中身がなくなったものでした。ガックシ。

ジーパンにヒールの高いブーツで川べりにぼーっと座っていたのでどうも自殺志願者かなんかと間違われたようで、
地元のおじさんに声をかけられてしまいました(笑)

147 112
さすが御嶽おひざ元。
大口眞神のお札だらけでした。

古民家、ステキでした。
んでもって気になったのがこちら。
122 123
調べたら、櫛岩窓神という神様のお札のようです。
解説は定番(?)の玄松子の記憶の雑記帳より。
御嶽神社にも摂社あるのかな。家主に聞けばよかった。
(そういう話をする雰囲気でもなかったんだけど)

152
囲炉裏があったり、

117
火鉢があったり、

120
アンティークな時計があったりでした。

ちっと変更

このドメインのメールアドレスを本格的に使い始めたので
(softbankのメアドと会社のメアドで十分事足りていたんだけど)topもやっと更新したりとか。
このblogdesignはまだ中途半端なままなんですがもうしょーがないし。
今月中頃には直したい所存。

最近は未知の世界…ではないな、改めてカソリックという世界観を見直す事が多いです。
あまりまともに勉強したことがないので朧げな解釈をもっていただけなのですが、
キリスト教ってのは最初っからキリスト教ではなかったのよね。
イエスキリストは「神の子」であって「神」ではなかったのよね。
漠然と「そういえば『神の子』って呼ばれてたなー」と思い出したりもしたんだけど。

様式美、というものに惹かれるようです。
確立された独自の概念におそらく憧れみたいなものがあるのだと思います。
確固たる自信のようなものを感じたり。
そういうなにやら自分にないものを求めていたりするのでしょうかね。

久しぶりに自宅でワインを飲んでおります。
酒を「呑む」の漢字は「呑む」が正しい(はず)のですが、ワインは印象として「飲む」なんですよね。なんででしょうね。