狼信仰雑記

今更…ホント今更なんですが、昨年2月放映のETV特集「見狼記」を観ました。
HDD整理してて見つかったのですが、なんでこれ録画したのか、なんで観なかったのか不明なのでして。
タイトル見てもピンと来ず、なんだっけこれ?と再生し始めて、しょっぱなに神社が映し出されているのを見て「あ、これはシラフで観たい」と思い(夕べは相当酔っぱらっていたのですな!)先ほど観終わりました。

秩父・丹沢の狼信仰は以前から知っていて、三峯神社にも行ってるし御岳山の御嶽神社では「オオカミかっけー!」と大口眞神のお札受けちゃうようなミーハー丸出しですが本腰入れて調べたことはなかったような。

狼を祀るというのは、自然神と同じ扱いで畏怖の対象だったんだと思われます。
実際畑を荒らすし家畜も襲われていたりしてたんじゃないかなぁ。そういったところから、「怖いから祀れば鎮まってくれんだろ」という日本人的発想から神格化されたと想像するのは易しいもので。併せて狼自身も害獣を駆除する立場として見直し魔(害獣)伏せの神として祀ったのではないかと。
狐と同じように元々は眷属(神様に仕える聖なる動物のことをここでは指す)だったのが神格化されて祀られていて。
ETV特集では狼信仰というよりも「ニホンオオカミはまだ居て欲しい」というある意味信仰心を(三峯神社他既存の狼信仰とは別)掘り下げていた番組でした。でもそういう観点から廃れゆく信仰をどうにかして繋ぎ止めたいという思いが迸ったりもするのでありまして。
寄居町の釜山神社宮司のお炊き上げ神事はもう、すぐそこに見える危機があった。宮司が亡くなったら誰が跡を継ぐんだろう。誰が大口眞神に祝詞をあげるんだろう。そういう不安で後半は胸がいっぱいでした。
狼信仰と併せて頭骨信仰というものもあり、それはおそらく陰陽から来る山伏(修験道)の呪術が民間に薄く浸透した流れではないかなーとか。もともと狼信仰と修験道は近しい位置にあったわけだし(御岳山はもろ合致しているし)、山伏が眷属の骨持ってるなんて鬼に金棒のようなものだからあの地域の民家の土蔵に狼の頭があってもおかしくはないなぁと思いました。その頭骨を削って飲んだなんていう話もあるわけだし、言い伝えというのは素晴らしい浸透力と感心。

妙見と違ってあまり他信仰と混じったりしていないのでなんとなくキナ臭いところがなくて面白くない(なんて失礼な!)ので「ふむふむ」ってところであたしの興味は終わってしまった(笑)
狼ってなんだか気高い印象を受けるのはあたしだけかしら。
ともあれ狼は絶滅してほしくないと思ったし狼信仰も廃れないでほしいと切に願ったりでした。
人々に忘れ去られるというのは信仰にとって死なのだから。神様を殺してはいけないと思うんだ。