なるほど。

いきなり納得してますが(笑)
昨日の大橋さんのパフォーマンスを観てから、ずっと気になっていたものにやっと名前がつきました。というとなんか怪しいな。でもそういうことです。

小さい頃(だと思うんだー)から何度も何度も見ていた夢がありまして。
わたしが小学生の頃まで、祖母がひとりで住んでいた母の生家(古い平屋)の廊下の突き当たりの扉を開けようとするんだけど怖くて開けられない、という夢なんだけど。
実際そんな扉はなかったし(今でもだいたいの間取りは覚えている)、祖母の家を怖いと思ったことは一度もなかったのに、その夢でだけはどうしてもその扉の前から動けない状態になっていて。
怖い。でも見たい。怖い。でも…
というのをスカートかなんかの端をぎゅっと握り締めてその扉を凝視していて。
そこからはまちまちで、扉まで手を伸ばしたところや扉のノブに触れたところでびっくりして(なににびっくりしたのかはわからない)起きたりとか、パターンは色々あるんだけど、毎回共通しているのは廊下の突き当たりの扉の前にいて、母と祖母が何か話しながら台所で何かを刻んでいる音(包丁のトントントントン…という)と昼間(日差しがある)というところ。

で、ずっとこの夢に対して、確かにシチュエーションとしてはなんやらうすら気持ち悪い夢としか認識していなくて、これになにか意味を持たせたり心理状態を探ってみたりとかはした事がなかったんだけど。
実際、何かが始まることもバリエーションもないので、単なる昔の記憶の(若干変化した)破片みたいなもんだと思っていて。

が、昨日のパフォーマンスで店内を漂うダンサーズの視線を見ていて、なにかひっかかっていて。というか、その視線と追い求めて這う手が「何」なのかをぼんやり考えていたときにその夢の感情(というのかなぁ…その夢を見ているときの心境?)と、ふいに崩れ落ちて床に倒れるダンサーズの不安定感というか脆い何かが似ているような気がして。
電車で移動しているときにふと、

あ。あの扉の奥には「なにかいる」んだ。
と、気づきました(笑)

今までそこに至らなかったのが不思議な気もするけど、そしてそれを今なんでこんなにもあっさりと認め(色んな部分を)ちゃったのかよくわかんないけど、ともかく腑に落ちるものがあり。

パフォーマンスに倣ってその「なにか」をphantomと呼ぼうかと思ったんだけど、どうもあたしの中でphantomは実体のあるモノ(怪物とか怪異とか)という認識が強かったため、「見えないし感じ取ることも容易でないけれど確かに存在はする」という意味でghostと呼ぶことに。
(この意は攻殻機動隊におけるゴーストの定義に寄り添いたい感じで)
そうやって名前をつけたことで昨日降りてきた絵の神様は更に精彩を放つようになり山のようにイメージが湧き出てきて。すごいぞ絵の神様。

というもう自分勝手なことだけ書きなぐったけど、錆びついてた筆を握る手に油差してまた身体の内側ガリガリえぐるような愉しみに浸ろうと思います。だ。