俳句とか川柳とか短歌とか

百人一首はもうだいぶ抜け落ちてしまいましたが、競技としての百人一首よりも意味を掘り下げて染み入っていた若かりし頃を過ごした方でした。
いつ頃だっけ、人麻呂の暗号って本がベストセラーになったりしたのは。あの頃です。
この本は母に借りて勢いよく読み進め明け方(に読み終わったのですな)に母を叩き起こし興奮してその百人一首の謎について語ったのを未だに覚えております。余談ですが、この人麻呂の暗号の著者、藤村由加さんという方は一人ではなのですが、この本を上梓する際に多大な貢献をされた「アガサ」がそののちに著した「古事記の暗号」で亡くなられていたのを知ってちょっとショックでした。
この人麻呂お暗号を若い頃に読んだことで、今のこの執拗な天邪鬼っぷり物事を深く考察するベースができてしまったような気がします。
なんてね。

おっと、閑話休題。

母の興味が子供に多大な影響を与えることはわたしたち親子を見ていてわかっていただけるという前提で、わたしも母から過剰な(笑)影響を受けております。母の興味対象は多岐に亘り、よく2つ下の妹(これが似てないんだまったく)を連れ美術館映画館、公園、山、川、海、…そこでさまざまな経験をさせてもらいました。
でも一番大きかったのは、読書と絵画でした。読むこと描くことは母の遺伝子から大量に貰い受け、多感な時期に悲鳴のような絵や文章を、大人になってからは地の底を這うようなほど暗いものを書いたり描いたりするようになりまして。
わたしのなかで絵を描くことは多分アウトプットでなくてミラーリングなんだと思います。

で、やっとタイトルに至りますが。
母が携帯電話を持ち始めてまず始めたのがメールで俳句を送り付けることでした。
夏の終わりに(どうやら寂しくなるようで)蝉の死骸や抜け殻を見つけては、夏が終わるんだーとか私も終わるーとか季節についていけねーとかそういったネガティブなレスに困る句を山盛り送り付けて(仕事中に)飽きると「見た?」と電話かけてくることがしばらく続きました。
面白いので、わたしも「返句」というのを覚えて(ルールなんて知りません、ただ母からの句にある言葉を使うだけです)そうやって母とひっそり句会を繰り広げておりました。
…あ、今思い出した。今は懐かしいmixiでコミュ「酔句会」というのをやっていまして。これどうしたかなぁ。mixi退会しちゃったので行方わからずですが。
酔っ払って詠んでやろうじゃないのさ!というコミュでした。

で、たまにtwitterで唐突に川柳は山盛り詠んでたりしてましたが(屍派の方々をフォロってるので影響されるのですな)、最近めっきり詠むこともなくなって。
なんて思っていたのですが、タイミングよく俳人の話を聞いたりして久々に俳句が読みたくなってしまったのでした。

今この季節(カレンダー的な七十二候でいうところの)は花曇りとか鳥曇りとかそんなところで、初夏前の春がやっと土に溶けてあやめだの菖蒲だのの花芽が見え始めるころのようです。

春嵐に桜と酒を出し抜かれ

春雷を丸いまなこで見る仔猫

風に舞う桜一枝川に落ち

春とか桜とか王道を使うのってなんか反則!(笑)