生命をはぐくむ場所

書いてから日にちが経ってしまったので鮮度が落ちてしまった感が否めないんだけど。
※書いたのは27日木曜日です。

http://www1.nhk.or.jp/asaichi/2014/03/27/01.html

途中までしか観られなかったんだけど、なんというかグッドタイミングというか。

明け方、ずいぶん昔に一緒に働いていた女性が女の子を出産しました。
彼女は産婦人科の病棟ではなく、自宅にて出産でした。
詳しい話はのちほど赤ちゃんの顔を見に行った時に聞こうと思っていますが、おそらく自宅に助産婦さんがいらしての出産だったんだと思います(余談ですが、ご自宅も素晴らしく建築について、様々なものをこだわり居間には暖炉もあるそうです。見せて!と言っているうちに2番目のお子さんが宿り今日を迎えまして。おめでとう!)。
そんな「無事産まれました!」というご主人のpostを見た直後のこの番組で、深く「家」について考えさせられました。
緩和ケアのコンセプトが「自宅」であるように、生も死も本来は自宅にあるべきものだったのではないかなぁと。
和室の居間がついたキッチンや温泉(露天風呂までも!)がある施設はどう見ても末期患者の入所している施設には見えませんでした。
今までの印象としたら、冷たい白い壁に囲まれカーテンで仕切った病室で機械に囲まれて徐々に近づく「その日」にシステマチックに進められていく…というものでしたが、その施設に入所した方々の話を聞いていると、ふと「死も生のうちの一つなんだなー」と思いました。
この施設に入所した方のご家族がボランティアとして携わっているというのに驚いたのですが、亡くなられた方のお顔に白い布をかけないというところやスタッフ全員でお見送りするところなど、何かこう暖かさに包まれた「死」は決して終焉でなく通過点なのではと思えました。
入所された方が亡くなってもその施設にはご家族がボランティアとして残る、脈々と続く生命の一部分のようにも見えました。

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このところは人との繋がりとか、そんな事をよく考えるのでして。
腕を振って自分の足で歩いているつもりでしたが、何らかの大きな波のようなものの中にいることを思います。