とちぎまんきつ その1(足尾編)

足尾銅山へ行ってきました。

なんで突然?と言われたのですが、別に個人的には突然でもなんでもなくて、前から行ってみたかったところのひとつでして。彼とのなんかの話の折に「山肌に突然現れる足尾銅山の陰湿な建物の雰囲気が忘れられない」みたいな事を言ったのを覚えてくれていたらしく、栃木に行く話が出た際に「ついでだから寄ってみてくればいいじゃない」と言われたのがきっかけ。
小学生くらいの時の学校行事の際に足尾を通ったのですが(おそろしくおぼろげな記憶なので本当に見た光景なのかも正直あやふやでして)、その光景をもう一度見たいと思いまして決行。
でもって銅山(鉱脈)の名前が「足尾」って事は無論(←勿論、ではなく無論)妙見いるよね?という確固たる自信の下「足尾 妙見」でぐぐってみたらそれはまたあっさりと足尾銅山近くに妙見いるじゃないですか。名前は変わってしまっているのですが、800年代に「足尾氏」が勧請したそうでして。ほらね。自慢げですがやはり引き当てるとうれしいものです妙見。
足尾銅山自体は江戸時代開山になっているのですが、そうするときっとこの辺りにサンカが定住していたのではないかなーと思ったのですが、調べている時間もなかったので(めっさ興味あるんだけどさ)宿題にとっておいて、さっそく見てきました。
足尾銅山最寄駅の通洞から約20分くらいのところにあったのですが、ここも大正に入り移転してきたそうで、以前の場所はちと不明。そして妙見から名前が変わった際についたこの「磐裂神社」という名前もなんだか香ばしくて。きっと理由があるのよね、磐を裂くという理由が。
拝殿本殿周辺の分詞された祠にも取り立てて珍しいものもなく。明治時代の宗教改悪のお蔭でもっと濃かったはずの信仰(が見える遺物)が薄くなってしまったのではないかなーとか思ったり。

足尾銅山はただひたすら怖かった、のひとことに尽きました。
もう二度と行かない。ありゃ無理だ。
というのも、行った事ある方はあの坑内にいる人形たちをご存じだと思います。近くに設置されているボタンを押すと突然動き出したり音が出たりしゃべったりするヤツなんですが、これが坑内にポツポツとしかついていない裸電球(カサ付き)に照らされていて。闇に浮かぶ無表情な坑夫のうつろな目。
坑内に入るためのトロッコに乗り込む時に、私以外唯一の30代くらいの男性のお客さんがいたのですが、坑内入ったらさっさと勢いよく歩いて行ってしまって。あっという間に突然この薄暗い坑内にひとりぼっち。
ちょっとおにーさん待ってよ、せめて裾つかまらせてよ!という言葉を飲み込み意を決して歩き出したのですが、坑内に点在する当時の様子を再現した人形たちがとにかくこわくって。ドキドキしながらゆっくり歩くもんだから余計なものが目に入り「ボタンを押してください」なんて書かれてたらそりゃ押すでしょ。押したら音が出るでしょ動くでしょ。そんなの想定してないでしょ。悲鳴あげるでしょ。坑内にこだまする私の悲鳴。
腰抜かさないだけまだほんとよかった。あんなところで動けなくなって保護されたなんて恥ずかしくて生きていけないじゃない。頑張って走り出しそうになる心を抑えて(なんでここでこうやって我慢していたのかは今となっては謎なんだけど必死にこらえていた)坑内見学して資料館を通り抜けやっと地上(?)へ。
明るい。陽の光よありがとう。思わずこみあげてくる涙をなんとか押し戻して日光行きのバス停に向かったのでした。