守りたいもの

歴史読本最新刊の記事を読んでいて、気になった記事がありました。

藤田庄市さんというフォトジャーナリストなんだけど、この方が飯館村へ行って写真撮ってきていまして。
その記事が芸術新潮に掲載されているということでバックナンバーお取り寄せ。

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私は東日本大震災で起きた原発事故について、web上では何も語らないと決めております。
なのでここで原発事故を言及する気は全くないのですが、どうしてもこれだけは書き留めておきたいと思って。
あの地震、そして原発事故による放射能漏れで移住を余儀なくされた方々の無念は計り知れません。
一昨年南相馬を見てきて感じたたくさんの苦しみは今も変わらず残っています。
あの時、なぜ私は南相馬へ行かなきゃと思ったのか。
それはひとえに「相馬妙見」が心配だったから。

もちろん他にも心配要素はたくさんあったんだけど、それよりも行きたかったところがああやって閉鎖されていたのに全く気付かず(で、心配してたとか言うなというね(笑)でも心配だったんだもん)、そういや三大妙見のひとつって…って気づいて調べたその数週間前にやっと立ち入る事ができるようになったので慌てて行ってきたんだけど。
その時に思ったのが、こうやって相馬妙見の辺りは立ち入る事ができるようになり、そのうち人も戻って来られるようになると思うんだけど、未来永劫に人が住めない土地となってしまった地域の神様たちはどうするんだろう、という事でした。

再三言っておりますが、人が忘れてしまう事で信仰が廃れていき、神様が死ぬんです。
何代にも亘って大切にされてきた土地と神と祭りとが、私たちの目の前で消えてしまうんです。

何百年と続いたその土地の信仰は時に名前や姿を変えてしまう事はあったはずです。
人の生活の流れに乗り様々な文化が入り混じったのと同じように信仰もまた別の土地の習わしがいつの間にか土地に馴染み、あたかもその土地で生まれ育ったかのように住み着いたりするものです。そうやって脈々と受け継がれた信仰が、寸断されてしまったのが先の地震からでして。
記事には死に絶えるしかない信仰についても書かれていました。
その土地に住めなくなっても信仰心は残っていくと思っていたんだけど、土地があって生活があっての信仰心なんだろう、と本当に心が痛くなりました。

どうにかして守っていけないのか、何かできることはないのだろうか。
そんな事をさっきからずっと考えています。