忍野八海の道祖神祭り

れんきうは富士山の麓をうろうろしてきました。

富士五湖、山中湖と河口湖しか行ったことなかったのですが、メジャーじゃない西湖や本栖湖の方が個人的には好みだったりしました。西湖の湖面に漂う空気というか気配というか、非常に清んだ「何か」がじっとこちらを見ているようで、吸い込まれそうにならないようにしなきゃと思ったりしちゃうくらいでした。「そういった類」についてはあんまり感度よろしくない(というかなくていいというか要らない(笑))ので滅多な事でこういう感傷に浸る事もないのですが、夕べは自宅に戻ってすぐ寝てしまうほど気が張っていたようでした。対峙するのが躊躇われる美しさ、なんていうのは大げさかもしれないけれども。

んでもってお題の忍野八海ですが。
こちらもまた澄んだ水が嘘のようにキレイでした。池を泳ぐ魚がまるで宙を漂っているかのよう。テレビでしか見た事のない南国のリゾート地の海のような透明度で、こんなに寒くなかったら私も一緒に泳ぎたいと思うくらい。
そんな忍野八海の8つの池を巡っている最中に、大きな竹にやたら装飾したものを見つけました。
まるで七夕の短冊のようでしたが、短冊は1つ1つぶら下げてあるのにこの忍野の飾りは短冊をずらっとつなげて竹にかけているようで、明らかに違うものでした。こんなの。↓
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この飾りを使う、お祭りかと思われるものの準備をしている方に「これなんですか?」と聞いてみたら、道祖神のお祭りとの事でした。そしてそのお祭りは子供のお祭りなんだそうで。
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という訳で道祖神にお供えが。

途中写真は撮れなかったものの、茅の輪にもたくさんの装飾をしたものも見かけたりして、なんだか寄せ集めな祭りだなーという印象を持ってしまったので持病が発症調べたくなりました。

…よくあることなのでしょうがないな、と、ちと寂しく思うのですが、このお祭りもおそらく元の意味からずいぶんかけ離れたところに今在るんだと思います。
「忍野八海 道祖神 祭り」で調べると、このお祭りの装飾の写真と「ヒイチ」という三角の飾りがhitするもののそのものの謂れについてはどこにも触れられず。。。
道祖神が子供の神様というのは無きにしも非ずなところだけれど(道祖神についてはこの辺を参考ください、とwikiを貼る)、だからと言ってこの飾りつけの意味は?茅の輪は?
七夕(に似た要素の飾りつけ)と茅の輪がセットになるのはわかるような気もするけど(どちらも蘇民将来の伝説より。七夕の笹は巨旦将来の血管、茅の輪は巨旦将来と蘇民将来を区別するために武塔神が蘇民将来につけさせた目印)、それにしてはなんだかこじつけのような気もするし、突然見慣れない「ヒイチ」という三角形のでどころが不明過ぎるし。
こういった信仰(祭り)に突然変異と意味のない習合はあり得ないという信条のもと色々な神社の御由緒にケチつけまわってますが(笑)ここのお祭りもいつかひっくり返してヒイチの由来も押さえてみたいと思います。
今回はちと残念。地元の史料探せばあるだろうし、地元の方々にも話聞いてみたいし。
また伺う時の愉しみにしたいと思います。

忍野八海というと(わたしは忍野八海自体知らなかったのですが)テレビの取材で池に潜ったダイバーが亡くなったという話が取り沙汰されるようですが、潜ったのは2名でお二人とも見つかっていたそう…ってソース怪しいなぁ。
八海のうちのひとつ、お釜池という池のすぐ脇にイチョウが立っていて、そのイチョウから銀杏が池にいくつか落ちていました。池の底(といっても数10cmくらい)に漂う水草の合間にぽつぽつと落ちていてまるで水草の種子のようでした。へー、水が綺麗で常に循環しているから銀杏も腐らないでそのまま芽も出ないんだねーなんて言っていたんだけど、…あとはご想像にお任せいたします。