あえて無題

夜中なんでつらつらと思ったことをラム煽りながら。
他愛のない事なのでスルーしてくださいまし。

facebookでシェアした記事について何人か反応していたので、その感想を改めて。
読んだまとめはこちら。

▼「落選した人の気持ちを考えろ!」嵐ライブツアーのチケット当選者の報告ツイートに、ファンから非難殺到中
http://matome.naver.jp/odai/2138087723389977001

先の「落選した人の気持ちを考えろ」というまとめの件なんだけど、おそらくね、こういう事を言う人たちって「世界=自分の認知している場所まで」なんだと思うんだよね。短絡過ぎるじゃない、考えが。自分が想像もつかないような事を考える人も居る、って知らないんだと思う(その考えの善し悪しは別として)。
というのも先ほどなめくじ屋経由で知った「白取特急検車場【闘病バージョン】」を読んで。
闘病系ブログは数多あると思うけど(といったら失礼にあたるだろうけど、一切こういう系統は読みたくなかったのでスルーしていたのだ、outherが自分に酔ってるきらいがあると思っていたので)、こうやって症状を客観的に書かれたうえでの、

「あー、家でなるべく動かないで生活できる仕事ねえかなー」

にはめちゃくちゃ心臓痛くなった。
この言葉の重さはね、この1行じゃ絶対伝わらなくて。

でね、ここでふと「イカの哲学」を思い出したり。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080324/151008/

世界は広いこと、あなたとわたしは違うということ、
を、認識すること、が大切なんだな、と思った。

SNSやってるとさ、自己と他者の境界があやふやになる瞬間があるのはわかるんだ。全く知らない他人のたわごとを「フォロー」という形であえて見ようとしているわけなんだけど、そこがね、「なんでこの人こんな事を言うんだろう?」って主観的になってしまうのと融合しちゃっていて、厭ならそのアカウントをフォローしなければいいのに「そんな事言うな」って思わず言ってしまうのよね。「見えている世界=自分の世界」だから。
そこがね、SNS始めて常にブレーキかけ続けていたところであって。
こんな事を言う人だけれども、その人はわたしではないし、どこかの空の下で今深呼吸なんぞしてるかもしれない、って思うようにしていて。
そういうブレーキの存在を知らずにアクセル全開でハンドルも離してしまっているような人たちが上記のような事を言い出すんじゃないかと。

そんな風に思ったんでござる。