百人一首の。

あいみての のちのこころに くらぶれば むかしはものを おもわざりけり

権中納言敦忠(ごんちゆうなごんあつただ)の歌で、百人一首43番目です。
百人一首って百首のうち43首が恋の歌なんだそうで。意外と少ない気がしなくもないんだけど。

この歌は「会ったあとの方が会う前より辛い」という意味だと思ってたのですが、
(ウチにあるマール社ってところの百人一首の解説では、

「お逢いして契りを結んだあとの、この恋しくて切ない心に比べてみると、あなたにお会いする前の恋の辛さなど、物思いのうちに入らないものだったように思われます」

と書いてあった)
このような「つらくてせつねー!」っていう心情の歌だと思っていたんですが、逆の解釈もあったんですね。知らなかった。
http://fusau.com/hyakuichi/hyakuichi043.html
(ちょっと読みにくいサイトですが、スクロールすると「解題」というのが出てきます)

楽しい時間を過ごしたあとの、じゃあねと振った手をおろしたところで訪れる寂寥感をどうやり過ごそうかと、
いつまでもその後ろ姿を追ってしまいそうになる心を抑えるのがとても寂しかったりします。
会う前の寂しさなんて比べ物にならないほど。横にいた感覚だけが残って、触れた肩の感触を何度も何度も彷彿として。
声や仕草、その笑顔はまぶたなんて閉じなくても見えてしまうくらい。
そして全神経がその寂しさに囚われてしまった。

そんな歌だと思っておりまして。
「違う解釈もある」ということを聞いたので色々探してみたのですが。
webにはあまり目新しい解釈がなかったので、明日時間があったら本屋寄って探してみようと思っております。

余談ですが。
齋藤孝先生が著書「孤独のチカラ」で書いていてなるほどと思ったのが、

「愛の孤独を知ったがゆえに愛というもののはかなさ、善きものへの美意識は研ぎ澄まされる」

という前後の部分で、うまくいってる恋愛についてはそりゃもう楽しくって楽しくって二人の世界が完成されてしまって周りなんか見えなくなっちゃうけど、そこから離れていく関係が見えてくると、心に吹きすさぶ風に耐え切れず何かに救いを求めたりして、それが美しい文章だったりするとなおさら自分の惨めさや恨めしさが汚く感じて余計辛くなったりしたりして。対比があって余計に美しさに感動できたりするような気がします。
今歌ってる曲の中に「愛そして風」という曲があるのですが、その詩もこういった部分の歌なんじゃないかなぁと思ったり。
愛のはやて、なんて美しい表現じゃないですか。

…いつまでも楽しい時間を過ごしたいな、と思うのは誰だって同じことだと思うんですよ。
offになって独りに戻る時、ふとこの歌を想うわけです。