小笠原諸島へ行ってきました【レンタルサイクル編】

森歩きツアーは帰り道にJAXAや国立天文台の施設を通って兄島を見渡せるロケーションの長崎展望台へ。
絶景とはまさにこのような景色を指すのではと思うほどでした。

宿まで送っていただき、お昼を食べてから海岸をうろうろ。
午後は何も予定していなかったのでぼんやり海を見て過ごしました。
どうしよっかなーと考えていて、そういやどっかに沈んだ船がいたな、と思い出しまして。
小さな湾にすっぽりと納まったように船がいたのを思い出し、よっしゃそれ見にいくか、と。
ぐぐるとその船は「濱江丸(ひんこうまる)」という船で、境浦という海岸にいるそうです。
私がいるところは二見港付近(おがさわら丸が停泊している港の近く)で、境浦まではちょっと距離があり。
うーむ。
そこで思い出したのがレンタルサイクル。そういえば自転車貸し出していたな、と。
さっそくお店で3時間分借りて境浦を目指しました。
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借りた自転車はこちら。

で、途中で色々寄り道をば。
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▼小笠原水産センター
http://www.soumu.metro.tokyo.jp/07ogasawara/fish/aquarium.html
ちっさな水族館。
小笠原の魚を紹介していました。

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トンネルを抜けると、山の上の方からなにやら呼ぶ声が。自転車を止めて見上げると網の向こうにヤギがいました。
ノヤギか!!とびっくり。やつらを隔離するための網のようです。

10分も走らずにお目当ての濱江丸が見えてきました。
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おお!これが!
…って言われないと船なんだか建造物の名残なんだかよくわからないけど、数年前の写真など見ると結構しっかり「船」だった痕跡があって(画像検索するとさまざまな年代の写真が出てくるのでその推移がわかる)、私が見たものよりもよりわかりやすいと思われます。

濱江丸とは。
大連汽船が1936年に建造したばら積み貨物船。太平洋戦争で日本海軍に徴用され、1944年に空襲により父島で大破放棄された。残骸が戦後も長く放置され、観光スポットとなっている。(出典:wiki「濱江丸

自転車を止めて、境浦の海岸まで降りることに。
写真から想像できるとおり、結構な急斜面を降りて海岸に出るとまたこれはこれで素晴らしい景色が。
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曇っちゃっているけど、これ午前中ならもっと明るくてきれいだったんだろうなぁ…。
真ん中らへんに海面よりちょこっと出っぱってる何やらが見えるのが濱江丸です。海岸からだともうほとんど見えていないって言っても過言ではないかも。
にしても人がいないため、本当に静かな海岸でした。
ここは昼寝に最適だろうなぁって感じ。
ちいさな東屋はあるんだけど、シャワー施設もないから海水浴だとちょっと帰り道が大変かもしれないけど、それはそれでいいんじゃないかしらん。
こんな美しい浜を独占出来る事の方が幸せだと思うし。
ビーサン脱いで波打ち際をちゃぷちゃぷしながらぼんやりと父島が戦地だったことに思いを馳せて。
こんな美しい島で行われた戦争って一体なんだったんだろう。バカンスで来た私には戦地の極限状態も想像がつかないため、ただ泡沫の夢のようでしかなく。ここで行われた戦争にも、こんな景色の中ででも憎しみや怒りを持って戦っていたのでしょうか。なんだか不思議でなりません。

ひとり旅らしい女性が浜に降りてきたので、入れ替わりで私は戻ることに。
(きっとこの女性も独り浜辺を堪能したいでしょう、という配慮から(笑))

だらだら戻って、ちょっと寄り道でもしようと島の反対側(兄島側)へ行ってみようかと思ったのですが、いくら電動とはいえ自転車で山越えるのは至難の業だったようで、途中まで山道をあがってみたものの「ばてるからやめておけ」とゴーストが囁くもんだから(笑)行ってみたい気持ち満々だったんだけど、それはまた次回原付を借りた時にしようと思います。

自転車を返してまた浜でぼんやりしていたら晩御飯時になってしまったので、この日はウェザーステーションまで行かずに部屋でビール呑んで寝てしまいました。
しかしとにかくよく眠れるってのはそれだけ昼間よく動いているって事なのね。

翌日は母島へ行きました。
かみんぐすーん。