印西市探索その2

お昼休憩をはさんで、まだまだ続きます。

松虫寺

続いてはおそらく本日のメインイベントの松虫寺。
同行者さん達の目的が合致するお寺でした。

▼松虫寺
http://maruchiba.jp/sys/data/index/page/id/7332
(公式サイトがなかったので、千葉県の紹介サイトを貼っております)
松虫姫の生涯はこちらを参照ください。ちと長いので引用はしないでおきます。重い病気、というのはおそらくハンセン病だったのでは、という事でおそらくその事実を隠すために遠くへ追いやったんだけどおそらく敬虔な信仰心でその病気が回復し都へ戻った、というおそらくな話で申し訳ない感じですがざっとダイジェストで。
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波瀾な人生を送った松虫姫を祀るこのお寺に繭額があるという事で来訪。先に住職に電話で問い合わせたけど「ない」と一蹴されたという話だったのでお寺をぐるっと見て帰ろうとしたところ、本殿右側に竹で入口を塞いであるお堂のようなものを発見。入っちゃいけないのかしらね…という誰かの言葉を無視してさっさとまたいでお堂にむかってしまった方たち(笑)この好奇心を抑えようとしないところがなんだか心強く。ガラス戸の奥にどうやら祭壇のようなものがあるからこれ神社じゃないかしらと中を覗くと「あ!!あった!!」と声があがりました。え?と振り返るとガラス戸の奥の欄間の上の方に何やら額のようなものが数点。そのうち二つは白い楕円がたくさんついていました。
こちらの住職が「ない」と電話で冷たくあしらったはずの繭額がここにあったのです。
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ガラス戸越しに撮影したため見にくい写真でごめんなさい。
こちらが、この土地に養蚕があったという証拠です。
ないってウソじゃん!!!(笑)

他にも、こちらでは疱瘡神の祠を見る事ができました。
疱瘡神は赤が苦手との事なので赤い御幣を飾るそうなので、とてもわかりやすいです。
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先ほど墓地で見つけた『ざかまた(犬卒塔婆)』もありました。
こちらの方が文字もはっきりしていてわかりやすい。
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松虫寺の敷地から少し離れたところに、杉自塚という松虫姫が都に帰った後もこの地域に残った松虫姫の乳母を祀った塚があります。
その塚には「松虫姫の乳母杉自は姫が病癒えて奈良の都へ帰っても、この地に残り文字や養蚕、はた織り、裁縫など都の技術を里人に伝えしたわれ没後村人はここに塚を建て偲んだ」と書かれています。
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うっ…塚の写真撮るの忘れていた。
この写真は車道から山道へ入って振り返って撮ったところ。左側、道が二股に分かれている真ん中の木の根元にその杉自塚がありました。この山道の両側にはたくさんの庚申塔が。
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ほとんど青面金剛なのですが、コの字した手が囲っている石像、よく見ると子供抱いてるんですよね。
青面金剛(庚申講)が子供抱く(子ども抱く如意輪観音は子安講)って入り乱れてるなぁ…。
私は入り乱れてると思ったけど、当時の方々はきっとあまり厳密に分けていなかったのでしょうね。

平賀の仁王尊

石造りの仁王像、時念仏塔を見に。
すみません、人の入っていない仁王門を撮ってなかったのでモザイク一応かけました。
仁王像はほとんど木造かと思いますが、こちらは珍しい石像でした。結構小さく、更に屋内(?)にあったためうまく写らず。
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な、なんだかわからないよね…(笑)

この山門をくぐると、大きな木の根元に大日堂がありました。その脇に見守るような時念仏像が。
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この「くわっ」とした感じ、いいでしょ。私好みです。そのはす向かいにいるのが不動明王像。時念仏像に比べたら穏やかですが、こちらも憤怒系といえば憤怒系。
ここで散々写真を撮ったあと、更に山門から遠ざかるように山道を歩こうとすると、近くの集会所の管理人らしき方が「そっち行ってもなんにもないよ」と声をかけてきました。え?でも同行者さんが「こちらにまだありまして」というのでついて行こうとしてるのですが。そんな地元の方の声を無視してずんずん山道を進んでいくと。小高い山のようなところに石像が。
思わず息を飲んでしまいました。その光景の不思議さかつ神々しさに。
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木漏れ日を浴びて美しく輝いているのは金剛界大日坐像でした。
なぜこんな奥まったところにこんな素晴らしい像を置いているんだろう。
周りは特別にきれいにされているという風でもないけど、だからといって荒れ果てているわけでもなく。供物も提灯のようなものもなく、ただ少しの広間があるだけでした。
(あとから調べたらこちらはどうやら古墳のようで。神聖なる土地だったんですね)
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わかるかな、この山道の先に金剛界大日坐像がいました。

このあともう2か所ほど寄ったのですが、資料がなく、記憶からも写真からもうすぼんやりとしか辿れず、断念。
やはり鉄は熱いうちに打たねばならないわけで。申し訳ない。
にしても、こうやってブログにまとめようとして色々調べていったところ、印西の歴史には様々な葛藤があったように見受けられます。その葛藤は印西だけではなかったと思うけど、今回たまたまこういうツアーに紛れ込ませて戴いたから知る事ができたまでの話かと思います。
「信仰」の裏側にはその土地の苦しみや怒りが見えてきます。
その怒りや苦しみを取り除くために据えられた神々がまだそこに存在していたように石像などのお蔭で見えました。
でも、たくさんの人々の声を聞いてきたその土地の神々はもう形骸化された祭りや行事にのみとり残されているようで。
石像もその「名残」でしかありません。
信仰という心がなくなった単なる儀式の上に本当に神は宿るのでしょうか。

松虫姫の伝説と共に今まで知識としてしか知らなかった「疱瘡神」の正体を見る事ができて良かったと思います。

医学の発達していない時代においては、人々は病気の原因とされる疫病神や悪を祀り上げることで、病状が軽く済むように祈ることも多く、疱瘡神に対しても同様の信仰があった。疱瘡神には特定の祭神はなく、自然石や石の祠に「疱瘡神」と刻んで疱瘡神塔とすることが多かった。疫病神は異境から入り込むと考えられたため、これらの塔は村の入口、神社の境内などに祀られた。

村というコミュニティを護るにはこういった病気すらも祀り上げて宥めるしかなかった時代、本当に生きていく事自体が大変だったと思います。
そういった人々の上に私たちは生きているという事を忘れてはいけないなぁと思いました。多くの犠牲の上に成り立つ今、忘れてはいけないものは何なのかもう一度立ち返らなきゃと思います。

…なんてきれいにまとめましたが当日の帰り道、近くの駅まで車で送ってもらって駅前の居酒屋でお疲れ会として食事(呑めるの私だけでした)したのですが、怖い話で異様に盛り上がり大笑いして(怖い話なのに(笑))帰ったのでした。
丸一日、お世話になりました。
また楽しげなツアーを企画の際は是非お声がけください(はぁと