国王神社・一言主神社
色々満喫してきました。
まず先週の火曜日に伊藤若冲展を観に行くつもりで午前半休を取っていました。
が、どうせなら1日休みにしてどっか行こうかしら、なんて鼻歌交じりで「若冲展が上野でしょ、そしたらお昼くらいに上野出発で行けるところは…」と探し始め(もちろん社寺です)、上野からなら北関東かしらね→昼からだからそんなに遠くないところがいいんだけど→(ぼんやりと地図を眺めて)→国王神社ってそういえば随分前に行ったけど、もう一度行こうかしら→あら、東京駅から近くまでバスが出てるのね…→それならバスに乗って行っちゃおうかしら→(バスの時刻確認すると10時過ぎと12時過ぎのバスしか使えないことが判明)→朝イチとかないのかぁ…→じゃあ早めに行きは電車で行って、帰りはこのバスでのんびり、にしよっと!
というわけで途中から若冲展は??という展開になり休みだというのに普段と同じ時間に出掛けて坂東へ向かいました。
(ちなみに若冲展のバカみたいな混み方を知ったのは、前売り券をfacebookの方々へ譲ります投稿をした後でした。せいぜい並んでも1時間くらいだと思っていて、開場の30分くらい前に行けば入れんだろ、くらいにしか前日まで思っておりませんでした)
国王神社
http://www.kokuou.or.jp/
将門終焉の地と言われている神社です。
『神社分限帳』には、“平将門が討たれた所にその霊を祀った”と記述があります。
天慶3年2月14日、藤原秀郷・平貞盛連合軍との戦いの最中、流れ矢に当たって落命した将門公の「終焉の地」が、この境内であると伝えられているのです。
平将門という人の生き方は色んな目線やフィルター越しに見られてきたためどうもあまりいい印象がないように思われますが、首塚を始め関東にたくさん残るその痕跡を考えてもとても力(香ばしい方でなく、リーダーシップの方)があった人だと私は思っています。だから怨霊だなんて言って欲しくないしその力はとても純粋にまっすぐであったんだと思います。なんてね。
そして平将門は私がきっと生涯追い求める(であろう)「妙見信仰」ととても近しくて(平将門は「花園妙見」を信仰していました)。そういった観点からもきっと将門を敵視していたところへは行かないと思うし、足裏見せて寝てしまうくらいの勢いで(嘘です)。
一言主神社
実は一言主神社はおまけでした。とか言っちゃう。
本当は、というか別の目的地がありまして、そこからさほど遠くない(と始めは思った)ところだったので寄った、というのが正しい表記かも。
国王神社から南下したところに菅生沼という沼がありまして、その辺りは古墳が多いようなのです。そしてその古墳付近に「星神社」を見つけたら見に行きたくてというのが当初の目的でした。
▼埼群古墳館(坂東市下神田山古墳群星神社古墳)
http://sgkohun.world.coocan.jp/archive/index.php/bando_hosi/
こんなの見つけちゃった日にゃ行かなきゃならんでしょ。という訳で。
でも現地では強まった雨の所為か古墳の写真は撮らずに本殿のみしか撮らなかったというスットボケぶり。何しに行ったんだという。
写真右側に件の古墳がありました。
この日は終日雨でした。
雨だとわかっているのに折り畳み傘しか持たないという私は一言主神社から3~4kmほど歩いたところの東京駅行バス乗り場までゴウゴウと吹き荒ぶ風雨にフンガーと立ち向かいながら歩いたのでした。途中コンビニでおにぎり買うも食べる場所がなく(雨なのでやたら座れなかった)通りがかりの神社のさい銭箱の横をお借りしてなんとか腹ごしらえしたり靴が壊れてぐちゃぐちゃだったりとかあまり楽しめた感がないのですが、1日好き勝手に行先変えたりしちゃってたのでそれはそれで満足だったりしたのでした。
そして、星神社近くにあった霧雨けむる菅生沼の光景が素晴らしかったので、これは雨の日じゃないと見られないからなぁと思ったりもしたのでした。
きっと、「葦原の中つ国」ってこんな光景だったんじゃないかしらね。
辺りには誰もおらず、ただ、たくさんの鳥が色んな鳴き声で鳴いていました。
常日頃誰かしらが周りにいるから、この静寂と孤独はとても甘美でした。
2016年5月25日 9:30 PM | カテゴリー:photo, Poor writing, Shintoism/Buddhism/Folklore | コメント(0)
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