大和の饒速日命(メモ的な要素として)

インターネットって便利だなーって思いつつ。

先日読んだ「捜聖記」内の記述で、天橋立付近にある籠神社の宮司さんがその籠神社の由緒等を話しているくだり(家系図が国宝というものすごい血筋の方だそうで)で「実は、我々の御祭神を祀る神社が大和に今もあります。しかしその名は隠されています」というのがあり、ここをどうしても読んで欲しいという経緯で私の手元に来たこの本を読了したので、探しました。

「大和」という地名が正直なところ曖昧で、この本が書かれたのは2001年だそうだから本来なら県名で言うのではないかしらと思いつつ、昨夜赤ワイン1本と焼酎ガブ呑みして帰ってから「大和 彦火明命(ホアカリノミコト)」で検索。めぼしいhitもなく。とりあえず本棚から関わりありそうな本をピックアップして読みながら寝落ちしたり。
そう都合良く秘密は暴かれないもので自宅にある「その類」の本には解はもちろんなくまたネットに戻るんだけど、大和という地名を奈良に変えてみたらあっさりとhit。なんかあっさり過ぎて拍子抜けしちゃったくらい(笑)

鏡作坐天照御魂神社(かがみつくりにます-あまてるみたま)
磯城郡田原本町八尾816

頭に「鏡」なんてつけちゃうくらいでもうどうしてこれが「隠された」なんだろうって思ったくらい。
※元伊勢の籠神社ご祭神「彦火明命」は、

「天照大神の御孫神で、邇邇芸命(ににぎのみこと)の御兄神に当たられます。邇邇芸命は天照大神の籠もられた御神鏡をお持ちになって日向の高千穂に天降られましたが、彦火明命は豊受大神の籠もられた御神鏡をお持ちになって現在の丹後に天降られ、丹後・丹波地方を開拓し、豊受大神を丹後でお祀りになった神様です。彦火明命は穂赤命(ほあかのみこと)とも呼ばれ、稲作に関係する側面と太陽神としての側面を持ち合わせています。」(丹後一宮 元伊勢籠神社御由緒より)

ということで鏡作りの一族が祖だったようなので、これはまごうことなき、なんでしょうね。
日本最高峰の神社データベース「玄松子の記憶」の鏡作坐天照御魂神社にももちろん丁寧に掲載。

「第十代崇神天皇のころ三種の神器の一なる八咫鏡を皇居におまつりすることは畏れ多いとして別の所におまつり致し(伊勢神宮の起源)更に別の御鏡をおつくりになった。その神鏡を八咫鏡をおつくりになった石凝姥命の子孫鏡作師がこの地に於いて崇神天皇六年九月三日に鋳造した。それを内侍所の神鏡と称するがその鋳造に当たって斌鋳せられた像鏡は之を天照国照彦火明命と称えておまつりした。これが当社の起源である。」(玄松子の記憶 より)

他田坐天照御魂神社(おさだにますたまてるみたま)
桜井市大字太田字堂久保205

(珍しく玄松子さんトコに載ってない神社みつけてしまった!なんかすごいびっくりした)
こちらはこのサイトに詳しく掲載されているのでそちらを見ていただきたく。
他田坐天照御魂神社は2か所あるようなのですが、堂久保の方の御祭神が饒速日のようで。

で、なんでわざわざblogに残そうかと思ったというのが、この2社の役割の所為。
鏡作坐天照御魂神社と他田坐天照御魂神社のラインを伸ばすと三輪山山頂があり、節分の日の日の出は三輪山山頂から登るそうで。
そうそう、レイラインですよ。大好物の。
更に詳しく調べた方の文献(リンクはPDFです)も発見。こりゃ今晩のおかずになるわ!たまらん!(笑)

【追記】
籠神社公式サイトに貼ってあったバナー「古代丹波歴史研究所」もあとで読んでおく。めちゃめちゃ私信な記事になってしまった(;^ω^)