「捜聖記」読了

読みかけの本が累々としておりますが勢いよく。

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捜聖記
http://www.amazon.co.jp/dp/4048733400

聖徳太子といえば(個人的には)「日出処の天子」ですが、いつぞやから「そもそもいなかったんじゃね?」という説も出てきたりとかでとにかく謎だらけの人物という印象なんだけど、私はそもそも「アンチ・スーパースター」だったらしく(モーツァルトも嫌いだったところから己を推測。天邪鬼だからね)聖徳太子ってどうも興味対象外で「いなかったんだ。ふーん」くらいにしか思っていなかったんだけど、「日出処の天子」を読んでその孤独を身につまされていたのですが、この捜聖記を読んで(フィクションだとしても)聖徳太子の目指すところがなんだったのかという真意みたいなものが(フィクションでなかったら)知る事が出来て良かったかなぁと思ったり。
政(まつりごと)を行う人はとかく(今は特に)誤解されやすいと思うんだけど、聖徳太子がいた「その時代」もやはり権力に目がくらむ者と人々を治める事との狭間で、素晴らしく純粋な信念が道半ばで折られてしまい、その真意が見えないまま濡れ衣だったり表舞台から消えてしまったりしてしまう事もあったりで。むしろ当時の方が今よりもそういった事が多いのかもしれない。その中で聖徳太子がやりたかったこと、やってきたことがヒトとしてしての本心(というこの本の解)から発するものだったら、日本はどう進んできたんだろうか、なんて事も思ったりしました。

という純粋に物語として読んだ感想なんだけど、そこよりも何よりももったいなさすぎ!って思ったのがとある登場人物の胡散臭さで。この人の存在を別の形に変える(もしくはその特徴をもっと薄めるとか)とこんなに斜めから薄目でみるような読み方しなくてすんだのに!とすごく残念。その人の所為で私はしょっぱな数ページ目で正直読むのやめようかと思ったくらいで。推理小説には主人公のアシスタントがよく登場するけれど、そんな立場の人がこの人だったらきっとめちゃめちゃ引きずられていくんだろうなーって思っていたのですが。そんなこんなで。

(読んでいない方、読みたいと思ってる方のために色々ぼかして書いておきます)そしてキーワードとして出てくる社寺についての考察が若干甘いんじゃないかなぁと思ったりとか、その変化の経緯についてとか、きっと著者はしっかり調べて書かれたんだとは思うんだけど、「これだけでその判断??」ってところがちょっと多かったかなーと思うのは前出の登場人物に私が引きずられている所為か。疑った目で読むとアラを探すのは確かにたやすいけれど、それは考古学の権威がやる事だよね。私がやる事ではないなーとも思うんだけどね…。そのものが創られた年代ってとっても大事なのになぁと思うこともあって。

色々唸りながらも昼休み昼寝も惜しんで読んでしまいました。
こういった歴史を覆したい!という探索記、ホント好物なので久しぶりに堪能した感じです。

って感想を書いたところで改めて表紙絵を見て、私この本ずっと前に読んだ記憶があるような…というモヤモヤしたものを抱えて悩んでおります(笑)
この表紙(読み終わるまでカバー外してたので)見た事あるのよね、自分チで。