ありがとう

約20年連れ添った愛猫がさきほど死にました。
眠れそうもないので書いています。

昨年末に鼻血を出しているので病院に連れて行った事で、初めてちゃーちゃんの身体に何が起きていたのかを知りました。さすがに20年近く(チャーチルを知人より譲り受けたのは96年だったので正確には19歳なんだけどね)生きていただけはあって、内臓の機能はだいぶ低下していたようでした。なかでも腎臓はもうほとんど機能しておらず脱水症状が既にみられるということで療養食に切り替えました。腎臓に負担をかけないような食事ということで、腎機能サポート用キャットフード、止血剤と抗生物質、腎機能に影響しないようなサプリメントを合わせて…という内容だったんだけど薬もキャットフードも口に合わないらしく見向きもしてくれず。
まだ若い猫だったら何とかしてその食事を続けて健康になって欲しいと思ったけれど、老いのための腎機能低下はむしろご飯食べない方が身体に障ると思って全部やめました。もうこの時点で余命宣告されていたため、その療養食を無理やり食べさせてその命を多少長くすることよりも、今までと変わらない環境で食べたいものを食べさせてあげる方がちゃーちゃんには大切なような気がしました。獣医師には「ちゃーちゃんの命の強さを信じその力を尊重したい」と話し食事ももとに戻しました。
獣医師からは長くて年内と言われていましたがそれは療養食をちゃんと食べていればの話であって、一部の方にはお話したかと思いますが、実際には年末に聞いた話では「この状態(腎臓の数値について)で何もしなければ早い子だと3ヵ月くらいで…」だったので、データというものは本当なんだなぁと思ったりしました。
鼻血を出すまでは確かに身体も小さくなってきてはいたけれどもまさかこんなに早く死んでしまうとは思いもしなかったです。でも日々その弱っていく姿を見ていると、もう2月末時点である程度覚悟はしなきゃと思ったし、3月入ってご飯を食べなくなってからはその覚悟はより強固なものにしなければいけないと思っていました。
今日(日曜日)は予定も何もなかったのでずっとそばにいて様子を見ていました。ベッドへあがれなくなってしまって床にうずくまっているのを見て、もうそこまでの体力も残っていないとわかりました。

心音がなくなってから一番初めにかけた言葉は「お疲れ様でした」。
この写真は相当前なんだけど、一番美しく気高くて好きだったので。
当時仲良かった友達が撮ってくれました。
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感情的な言葉と表現をなるべく避けようとしているので、若干文章が怪しくて申し訳ないです。
blogを書き出す前にしばらく死について色々考えていたのですが、死ぬ事よりもそこで変わる私が怖いんだろうな、というようなところを漠然と思いました。正直、この闘病がいつまで続くのかとか、数時間前のちゃーちゃんの様子を見ていて「安楽死という選択」についても考えたりとか、全く覚悟と違う方向へ行ってしまう心も私の内にはありました。死を前にして私はただただ静かに取り乱し続けていましたが、もうそれも一切考えなくていい現状に安堵しているその私に、私は悲しさを感じています。ひどいな、私。
これから後悔の日々が待っているんだと思います。どうその後悔と折り合いをつけられるようになるか、それが課題なんだと思っています。