舞台は銚子のはずれ。

ずいぶん前に書いた文章を探していて。
やっと見つけたのでこちらに載せておく。
拙いけど、こんな余生を送りたいというね。

午後になって、また少し風が強くなったようだった。
普段から強めの風が吹くこの土地の表情にもやっと慣れた。
たまに潮の香りが漂う程度の地域から、直接建物に海風が吹きつけるこの地に移転して数年が経った。
初めは都会の喧騒を寂しく思う日が続いていたが、今では外海の賑やかな潮騒が心地よい眠りを誘う。

漁港から少し離れたキャベツ畑と缶詰工場の敷地に隣接した、小さな戸建と猫の額ほどの畑が私の城だ。
二階建ての家だが1階しか使わず、半野良の猫が台風などで家の中に押し込まれた時に上がっていく程度で、
おそらく締め切った雨戸の隙間にはスズメが巣を作っていると思われる。
畑では細々と野菜を作ってみたりしている。
あれだけ好きだったバラは食べられないし肥料がかかるので今はしていない。
自分が作った野菜が旨いと当初の頃の感動はなくなったが、味の濃さはやはり自分で育てたからかとつくづく思う。

昼間は漁港へ行き揚げられた魚の仕分けや加工などの手伝いをし、夜は知人からたまに来る小さな仕事をこなす。
こちらに越してきた時に捨てて以来テレビは一切観ず、古い映画をPCの小さな画面で観る程度。
あれだけ好きだった酒もほとんど呑まなくなった。
漁港の知人に誘われて町の居酒屋で呑むこともあるが、自分から誘うことも出ることもない。
もちろん、化粧もする必要がなくなった。

息子の結婚を機に自分のしたかったこと、として東京を離れた。
魚の美味しいところで細々と生活しようと思っていた。
私は山より海が好きだったことに気付いたのは、息子が高校に入った頃。
それから少しずつこの移転の準備を考え進めてきた。
年老いた母がこの移転についてあまりにも寂しがるので、本当は関西へ行きたかったのを断念し房総のはずれに決めた。
私はずっと都内で生きてきたから、このギャップは想像していたよりも厳しく辛いものだった。
知る者もいないひとりきりの土地で泣き濡れる夜が続いた。
若い頃ならもう少し「冒険」できたかとも思ったけれど、その気力は寂しさに勝るものではなかった。

その辛さも寂しさにも少し慣れた頃に息子から孫ができたというメールが届いた。
産婦人科のエコーのデータがPCに転送される時代は素晴らしいと感動しつつ、孫の誕生を待った。

畑のトマトの柵にネットをかけ終わり、雲行きの怪しくなってきた空を眺めていたところに一台の車が近づいてきた。
後部席のウィンドウが開き、女の子が「おばーちゃーん!」と大きく手を振る。
玄関先に座っていた半野良の猫が一声「にゃぁ」と返事をした。