長瀞へ蝋梅を見に行ってきました

先日ニュースで蝋梅が見頃だと聞いたので。
聞いたのは安中市のろうばいの郷の話でしたが遠かったので近場で探したら長瀞にもあるというのでそちらに。
別に長瀞も近くはないんだけど(笑)

基本的にどこか出かける時はその先(もしくは中継地)に社寺がないと気が済まない性質なのでもちろん長瀞というターゲットが定まったところで「秩父なら三峯か秩父神社かな」と思っていたところに、その蝋梅が見られるロウバイ園は「宝登山神社」という神社がありまして。しかもここは「秩父三社」と呼ばれるうちの一社(詳細はリンク参照のこと。先に挙げた二社と宝登山神社で三社となりますのでして)でした。
こりゃ行かねばと思いさっそく。

IMG_1619
寶登山神社(こっちが正しい表記ね)http://www.hodosan-jinja.or.jp/
秩父三社は基本が狼信仰と修験道なんだけど(と私は言い切る)、建前としてのヤマトタケルとか神武天皇とかが据えられているところで、正直艶めかしい社殿とか興味なかったりするんだけど。それよりも奥宮が残っていたことが嬉しくて。御由緒読んだら毎月ちゃんと「お犬様への御供物」ってのをやっていて。

特殊神事〈お炊き上げ祭〉
毎月7日:4~9月/5:30、10~3月/6:00…本社
毎月15日:午後3時…宝玉稲荷神社
当社独特のお祭りです。創立の由緒に起因するもので、忌火でお米を炊いて、当社の御眷属(ごけんぞく)であるお犬様にお供えします。本社は毎月7日早朝に行われ、白飯を炊いてお供えした後、山頂の奥宮へもお供えします。宝玉稲荷神社では毎月15日午後3時にあずき飯を炊いてお供えします。

余談だけど先日諏訪大社のお祭りが残酷だと動物愛護団体が云々というのを読みまして。
ソースはこちら。
諏訪大社カエル串刺し神事に抗議 動物愛護団体「許すことのできない残虐行為」
グリーンピースといいこいつらといい、何の意味もなくいたぶって殺してるならともかく何を興奮しているのかと。
それはさておき。
なんでこの記事を思い出したかというと、民間信仰の濃度がまだしっかり濃厚なまま残っていることの表れを大切なことだと思うから。夏休みの小学生じゃあるまいし無駄な殺生をしているのと訳が違って(カエルはよく破裂させられたよね、爆竹だったり車に轢かれてたりとかさ。夏の朝の道路は結構礫死体が累々としてたんだけど、私の生家辺り)遠い昔から変わらずに神聖な儀式がそのままの形で継続してきている事が素晴らしいと私は思うのでして。
日本の隅々まで多様な民間信仰あってその神事(儀式)は土地によって様々で、そういった伝統が今も残るという事は、その土地に守られる神様がいて、その神様を守りたいという方々がずっと住み続けてくれて。そういう「継続」があってこその民間信仰であり神様なのだから、そういったものが廃れていくというのは本当に私は胸が痛むし、どうにかして存続できないのかと悔やまれてならない。
秩父の狼信仰にもそうやって廃れていくであろう儀式も多々あり、そこはどうすべきなのか非力な私にはなんの案もないのだけれど、なんとかしてお犬様ことニホンオオカミが居たという事実とそれを畏怖し崇めた方々の心をこの先も繋いでいければと思っていて。

こういう信仰を絶やさないようにとネットで啓蒙するのもひとつの手だとは思うんだけど、それよりも私は現地へ赴きその神様に頭を下げ空気を感じご神木に挨拶する方が、神様も喜ぶと思う。
「百聞は一見に如かず」じゃないけどやぱテキストや写真の「情報」だけじゃその神様に出会えたことにはならないもんね。

ちくと話が反れてしまったけど。
寶登山神社をお参りしてロープウェイへ。
宝登山は500mもない山だったので以前なら軽く「2時間?1時間半であがれるでしょ?三輪山よか楽勝じゃない?」ってタカをくくって(もしくは黄色と黄緑の縞模様の顔で←殺せんせー的な)ロープウェイを尻目にさくさく登山道をあがっていったんだけど、昨年春の三輪山断念以来どうも体力に自信がなく更に正月太りというおぞましい現実を目の当たりにしているため迷わず往復割引乗車券を購入。ああ今思うと帰りくらい山の中歩いてくればよかったな。と今ちくと思ったけどやぱ無理そう(笑)
で、上がった先にあったロウバイ園はまだ5分咲きでしかなかったんだけど、5分咲きでこれだったら満開って本当にすごいんだろうなぁと思われるような景色が。
IMG_1660
蝋梅(ろうばい)

ロウバイ(蝋梅、蠟梅、臘梅、唐梅、Chimonanthus praecox)は、ロウバイ科ロウバイ属の落葉低木。1月から2月にかけて黄色い花を付ける落葉広葉低木である。花の香りは強い。名前に梅がついているためバラ科サクラ属と誤解されやすいが、別属である。
唐の国から来たこともあり唐梅とも呼ばれ、中国名も蝋梅であったことにちなむ。本草綱目によれば、花弁が蝋のような色であり、且つ臘月(ろうげつ、旧暦12月)に咲くからこの名がついた。(Wikipediaより)

IMG_1663

IMG_1645

IMG_1638

IMG_1652

蝋梅の香りって例えるならなんでしょうね。
私はその香りに蜂蜜の香りのような動物的なトゲのようなものを感じるのでして。「甘い香り」とくくれるものなんだけど、薔薇にはない…なんというか体液のような…上手く言えないんだけど、ニュアンスとして、カラメルソースの甘い中にちょっとだけ焦げた香りが入る事でその香りがより際立つような、その「焦げ」みたいなのを強く感じ取ってしまって。薔薇のように(いや薔薇だって色んな香りがあるから一概に「薔薇」って言うのもアレだけどさ)その香りが既に完成されているものでなくて、蝋梅の香りは何かひとつ追加されて在るような気がしてならず。その何かがなんだかよくわからんのだけど。
風が強く髪の毛めちゃめちゃになっていたんだけど、そんな中でも深呼吸すればこの蜜のような半透明の花びらで肺が満たされてしまうようなそんな芳香に包まれて、高齢ご夫婦が何組も横目で訝しげに通り過ぎるところでスーハースーハーやっていたのでした。いやーとにかく良かった。ヤニで汚れた肺もキレイになりそうな香りでした。

で、蝋梅を堪能したあとは長瀞の長瀞たらしめる荒川へ。
先日知ったんだけど、長瀞の渓流は荒川の上流だったのね。びっくりです。あの川があんな川になってしまうなんて。近くなのでよく行くのですが(土手に転がって昼酒喰らいに)、その荒川の源流がこんなにも穏やかな佇まいだったとは。
長瀞と言えばライン下りが有名ですがこの正月明けの強風の中でそんなもんやってないでしょと思ったら船にこたつ持ち込んだ「こたつ舟」なるものを営業中でした。さすがにそういったものに興味が湧くわけでもなく、とりあえず渓流と岩畳を見てくるかーと気軽に川岸まで行ったのですが。
私の知っている長瀞は緑豊かでたおやかな流れと透明なせせらぎに包まれた穏やかな景色だったのですが、目の前に現れたその光景は卓袱台返しのように覆されました。
なにこの荒涼とした気配は。
IMG_4867
(この写真お気に入りなので色々使いまわしててすみません(笑))
この写真を撮ったところに東屋があったのですが、そこに荷物を置き近くの岩に座り込んでしばらくその冷たい流れを見つめていました。岩という無機物の間から生え茂る樹木たち、冬を迎えるごとにこうやって骸のような姿にさせられるけれどその先にある春を待つことで、また生きながらえるんだろう。岩と水と木々の鬩ぎ合いのようなものをここで感じ、大きな自由を抱えた「私」のはずなのに、その隙間にも入れない事でなんだか疎外感を味わってしまい、とても寂しさを感じていました。
何かと対峙することで己を認識するのであるなら、私は自然と向き合う事で自分を「不自然」と(言葉の意味通りに)否定せざるを得ず、それには微塵の猶予もなく異物という自分を認めるしかなくて。そんな事を考え散らかして悶々とした上に岩の上に座っていてオシリもしっかり冷え切ってしまったので慌てて退散。さほど長居はしなかったけど、この景観はとても好きになったのでまた来年、今度はもっとたくさん蝋梅が咲いている時にまた来たいと思います。
都心から2時間程度で行けるので(というと「京都も新幹線で2時間だし」というセルフツッコミが脳内で)興味持たれた方はぜひ。

秩父鉄道はSuica等共通乗車カード・電子マネーは使えなかったのでご注意を。

※追記
奥宮が良い良い言っておきながら写真ひとつも載せないってのはシツレイよねぇ。
IMG_1674

IMG_1685 IMG_1686
狛犬にあたる「狛狼」はやはり痩せこけていて。あばらが浮いてるのわかるかな。
とてもいい表情でした。