歌と歌

今年入ってからやろうと思っていた事をやっとこさ始めました。

以前からちまちまと色んなところにぽつぽつ書いては載せたりしていた、短歌を本格的に。
某短歌の会へ入会し、日曜日は歌会へ参加してきました。
歌会ですよ歌会。これまた縁のないものだと思っていたのですが、意外と楽しかったのでした。

31字に閉じ込めた想いというか感情というか、そういったものを人に評価されるって結構怖いものでして(笑)
自分が詠んだ歌についてその意味を(たとえオブラートや真綿でくるんでいても)両手を使ってねっちねちと餃子の餡を作るかの如く揉んだりこねたり時にはこぼしたりして目の前に晒してしまうんですよね。
実際に歌会にいらした方の歌を自分も拙い言葉で色々あーでもねと言いましたが、全くの初心者ゆえのつかみどころのない事しか言えずに本当に申し訳なく…。
でも、そうやって「評価するために読む」と、いろんなものが見えてくるのでして。
その見えるものが詠み人の言わんとしているところなのか違うのか、そういったのを探っていくのがまた面白く。
「これは富士山を詠んだ歌ですね」という決着がついた歌は実はパックをしたまま寝てしまった朝の歌だったりとか。

わたしの詠んだ歌については技術的な指摘が圧倒的でして。当たり前だけど。
それでも、歌会最後に「今日の一首」でわたしの歌を選んでくださった方がいたりして、次はちゃんとお題を決めてそれに沿った形で詠めるようになりたいなーとか思ったりしたのでした。
前の日も呑み過ぎていたので途中舟漕ぐかと思ったのに全く眠くもならずに脳みそ使いまくってとてもお腹がすいた4時間でした。きっと私は「紐解く」という作業も好きなんだろうなぁと思っていて。というのも、エテルナで歌う曲についてもちゃんとその背景を知るところから始まって、その詩の意味をみんなでディスカッションしたりしながら理解を深めていってるところだし、それがないと単に「悲しい歌」「テンポのいい歌」だけになってしまうわけですし。そうならないために「なぜ悲しいのか」を理解して表現できるようにまずならないといけないわけですから。
短歌もそうで、人の歌を理解してその言葉を知るところから詠む行為が膨らんでいくんだと思います。その表現方法、そのニュアンス、そういったものをどうしてこの場所で使うのか、といった事をしっかり考えていくことで自分の心の幅も詠む技術も高まっていくのかもしれないです。

というわけで今年から歌を歌って歌を詠む事になりました。
小さい頃は(母に言われたままに)画家になろうとして、思春期(黒歴史とも言うね!(笑))は文章を、いろんな形で自分を表現しようとしてきましたが、もしかしたらまた今そういう時期が来ていて、新たに何かを訴えたい欲求が噴出しているのかもしれません。

という訳で今後短歌については短歌の会へ提出する歌以外をSNS等にて公開(しないかもだけど)、
会誌に掲載されたものは会誌発行後に公開予定です(一応パブリックな会誌なので)。