イースターミサ/グエルチーノ展/「鹿の王」

ダイジェスト版にてお届け。

■イースターミサへ行ってきました。
昨年6月の主の昇天ミサから始まった大きなミサへの参加もこれで3回目。というかキリストの誕生→復活→昇天、と主要なところを押さえたところです。降誕祭(クリスマス)以外は馴染みが薄く昨年6月の主の昇天ミサも正直「へー」ってその時知ったくらいでしたし、イースターはさすがに名前と「あれでしょ?…卵に絵を描く日」という間違えた方向での認識しかなく。
散々宗教画を観てきているのにこの認識不足っていったいね。
ということで(?)今回ももちろん山手教会へ。前の方に座りたいから早めに行こうって1時間も前に到着したというのに最前列から1/3くらいは埋まっていて、さすが復活祭なんだなーと思いました(というのは間違いで、私たちは一般の参加の最前列辺りでした。前の方に座っていた方々は洗礼を受ける方々とその代父母<教会の中での父母の事だそうです。洗礼を受けるにあたって、教会に本当の両親以外に同性の親を持つのだそうです。←うろ覚えなので間違っていたら指摘してください>が座っていまして。この日の洗礼者は27名。さすが山手教会…)。

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イースターとは最後の晩餐から始まる1週間の総称のようなものみたいで、私が行った土曜日の夜のミサは磔から降ろされたキリストがまさに復活を遂げるシーンを再現したミサでありまして。
私たちが教会に入った時祭壇などに一切装飾はなく「喪に服す」状態でした。祭壇に向かって左側にキリストが安置されていて(という設定ね)、信者の方々はそちらにご挨拶に行かれる姿をちらほらと。
そしてミサの途中で鐘が鳴り響きキリストの復活を告げ、何もなかった祭壇に白い布や花が置かれ、復活されたお祝いが始まるのでした。
写真にもありますがこの土曜夜のミサは屋内の電気を消し蝋燭の灯りだけになる箇所もあり、とっても荘厳でこれだけの人々が同じ方向を向いている(キリストに捧げる何かを持っている)という空間がとても美しく幻想的でした。こういう美しい瞬間が日常に在るってすごいなぁと思いました(1年に1回だけどね)。
そして洗礼者の若い女性率の高さにびっくり。ほぼ私と同年代かそれ以下で、男性はほんの数名でした。キリスト教徒の男女比率はきっと取っても面白くないと思われるんだけど、洗礼受けた年代とその年の出来事とか色々紐づけて統計取ると面白そうだなーって思ったり。入信のタイミングって個人もさることながらきっと世情も絡んでいると思うし。そんな事を考えつつ。
そして司祭の衣装がやはりドラクエを思い出すほどで。というかドラクエが頑張ったって事か。

とても素敵で素晴らしい時間でした。ありがとう。
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■グエルチーノ展
▼グエルチーノ展 よみがえるバロックの画家
http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2015guercino.html

バロック美術っていいですよね。なんというか大袈裟というか毒々しさというか、仰々しさというか、本質が見えてしまうほどヘタなメッキというか、どことなく嘘くささが見えるような、…あ、全部褒めてるつもりなんだけど全然褒め言葉になっていない(笑)いかん(笑)
美しいという感性は人それぞれであって、私にはこの時代(といってもぐぐったら「16世紀末から18世紀初頭にかけヨーロッパ各国に広まったバロックと総称される様式にもとづいた絵画や彫刻などの美術のこと(バロック美術:Wikipedia)」とか書いてあってその期間長過ぎじゃないかと思うからきっと私の好きなところはそれよりもっと細分化されたところの一部なんだと。あとで探そう)の絵画が好きだから節操もなくたとえ知らない画家でも活動時期を見てとりあえず行ってしまえという感じなのでして。グエルチーノもそんな感じで画像検索すると「あ、この絵知ってるから観たことあったかもしれない」という程度でしたが時折facebookに流れてくる公式サイトからの画像を観ていると「あー美しいなぁ」と思っていたので時間作って出かけるのが楽しみでした。
大きいサイズから小さなものまでそのテンションが変わらずにあるというのは作成する側として本当に凄いなぁと思います。私は固定のサイズが出来上がってしまっているからそれ以上もそれ以下もどうも描けないんだけど(というか何年描いていないんだという)、カンバスの大きさと迫力は比例しないんだな、というのを実感しました。
にしてもコントラスト…じゃないやフォーカスがわかりやすく、一見photoshop仕事??とか画面上の話でもないのに思ってしまうくらいの絞り値の絵があったりで、引き込まれてしまう絵もあれば輪郭とれてなさすぎ…と驚くようなものもあり。んでもこれだけの画家がそんな甘い仕事しないから設置場所対策としてあえてぼかしたりしていたのかもしれない。あとでこれも調べてみます。
わたしが素晴らしいと思ったのは、トゥリニタ:聖三位一体のキリストの衣服と、聖マタイと天使のマタイの足。
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このマタイの足が凄すぎて。動きそうなんだもん。絵しか持つ事のできない「表情」と「筆使い」という2面がとてもきれいに混在していて、「絵なのに動きそう」という矛盾が昇華されているのね。こんなに美しいと感じた皮膚感は本当に少ないかもしれない。
そしてこの2人のやりとりが面白そうで。こういう編集さんと作家さん居そうよね(これはマタイがマタイによる福音書を書き終えたところに天使が来たところの描写らしいのですが、どうしても天使が締切過ぎた原稿を催促に来た編集としか見えなくて。天使に向かって酔って悪態ついてそうじゃない?マタイが)。
聖三位一体の方はフリー素材になかったので貼れなかった。残念。
何が良かったかというと、父のビジュアルがどこにでもいそうなおじいさんだったキリストのまとっている布の色。解説読んで思わず「ふぉぉぉぉぉぉ」って感嘆の声が漏れてしまったんだけど、下地にピンクを使った上に青を乗せているため、単色の青と違う深みというか光沢…でもないなぁ。玉虫色というか、そういった光源の強弱で変色してみえるような風合いが描かれていて。もしこれからグエルチーノを観に行く方がいらしたら、ぜひ聖三位一体のキリストは覗き込むように観たあとに3mくらい離れても観て欲しいです。その布の色の変化にびっくりすると思うから。

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■「鹿の王」
うわ、ぐぐったら角川書店サイトに特設サイトもできてた(笑)
▼鹿の王特設サイト
http://www.kadokawa.co.jp/sp/2014/shikanoou/
私が今まで観たアニメの中で最高峰である「精霊の守り人」の原作者上橋菜穂子さんの最新刊です。
上橋さんが紹介されていた本(漢方水先案内: 医学の東へ (シリーズケアをひらく)の記事を読んで新刊が出ている事を知り買ったのですが、上巻翌日に読み終わりそのまま外出先で本屋を探して下巻購入、残りあと30Pほどまでに至りました。上巻購入は水曜日夜で、そこから4日弱で1000Pは読んでしまった模様。それくらい深く入り込んでしまう物語です。
そもそも精霊の守り人でその世界観は東洋の民俗をベースにしてある物語をかたられていたので書評を読む前に読むべきなんだろうと思っておりましたが、晩御飯を兼ねた休憩時間中にサイゼリアで号泣するとは思わなかったほどです(笑)
ずいぶんとご無沙汰になってしまっている鍼の先生の治療を受けていて思っている事と、また違う位置にある西洋医学というジャンルについてのベクトルは私も以前から同じように「治療」と称する行為がどうしてここまで反るのか謎に思っていました。その答えというか、道というか、そういったものについて考えるために灯りをともしてくれるような物語だと思います。命の大切さ、なんて陳腐な言葉でない高いところから、何たるかを導いてくれる(あくまでも提示でなく導きだと私は受け止めている)ように思います。

どう生きるか。

今の私の環境で生死を選ばされるような事態はないけれど、生きるという事の隣には必ず死が在ったこと、そういう摂理ってすっかり抜け落ちてしまっているんだと改めて淡々と綴られる文章の合間から滲む音に気付かされました。努めて足元に咲く花々や茂る樹木に対しての興味を失くさないようにして生命が在ることを忘れないようにしてきたつもりでしたが、それでも私は雑多なものに囚われ過ぎているんだなと寂しくて。なんて思っても私は私なりに此処で生きているからやらざるを得ない事もたくさんあるしね。そんな葛藤を抱えてあともう少しで終わってしまう旅にまた戻ることにします。

こんなサイト見つけたので一応リンク貼っておきまする。
▼GATAG
http://painters.gatag.net/