「主の昇天」ミサへ行きました

レクイエムを歌うのだから、と友達が招待してくれました。
以下宗教関連の話になりますのでご注意ください。

カトリックのミサ、大人になってからは初めてだと思っていたら、離婚して色々あった時期に一度中野の教会へ行った事があったのをつい先ほど思い出しまして。この頃は思い出したくない事が多くて(いや、それすらも私の糧になっているのは事実だけど、生々しく未だに迫ってくる記憶があったりでフタをしておきたい辺りだったり)、招待してくれた友達には初めてだと言ってしまっていたんだけど。

とても素敵な教会でした。
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なんというか、きっと幼い頃から教会に縁の深い方はそう思わないとは思うんだけど、異空間の中の日常、とでも言うと近いかしら。突き放された親密感というか(しつこい(笑))相反する「(私にとっては)何か」が在って、その存在が妙に心地いいというか。お寺本堂でご本尊と対峙した時の圧倒される感覚とはベクトルが違うんだけど。
なんか妙に納得したのが、やはりキリスト教という「文化」はすさまじく影響力があったんだろうな、というところ。キリスト教なくして芸術は栄えなかったのではないかと思っていて。というのも、ミサ中に散在する讃美歌の多さ。馴染みやすいフレーズで音階という戒律が更に乗っているんだけど、その讃美歌が音楽との距離を縮めているんじゃないかなぁ。私は日曜学校にちょろっと行った程度だったので鼻歌で讃美歌出る事はなかったんだけど、もしそういう環境に於かれていたらきっと音楽はもっと身近だったろうし、宗教画にも造詣が深くなれたかもしれなかったし。そういう意味でも宗教というのは人の心を豊かにしてくれるものなんだろうなぁととても客観的に思いました。
連れてってくれた友達とご飯食べながら(私はもちろん休日の昼なのでビールでしたが)「最終的に何が願いって『世界平和』なんだよね」とかものすごく深い話をして(ここだけはしょると怪しいけど、物事には順序があってここい至るまでの会話は省いたまでなのだ)帰ってきたんだけど、本当にいい経験になりました。
中学生の頃に初めて聖書を手に取って以来ずっと日本語訳って変だと思っていつか私の言葉で解釈してみたいとか思っていたのも思い出したりしていて。

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合唱始めてから改めて歌集見てDies ireaのカタカナに動揺。
これは第九の楽譜以上に読めない気がするんだけど…。