回顧録

とあるツテ(一応経緯も守秘義務に当たりそうなので)で福島県の地酒(一升瓶)を戴いた。
今日はちょっと早めに帰りたかったので結構混んでる電車で箱入り一升瓶を抱えて乗るのは勇気と忍耐力が必要だったけど呑みたいという欲求はラッシュ如き屁でもないらしい。
素晴らしいことだ。

一升瓶からグラス(もしくは湯呑み)に注ぐ時って皆さんどうされますか?
あ、そもそも一升瓶から自分で注いだことがないとかいうコメントは要りません(笑)
結構重たいんですよね、一升瓶。内容量がfullだと1.8リットルで約2kgでしょ、それにガラスの重みが加わるから、軽く2.5kgは超えそうな重さで。
上手く注ごうとするにはやはりノドと底を持って両手を使うのが安全かつ量も調整が効くと思われます。グラス置いてもらってよっこいしょ、ってそろそろと注ぐ姿はよく居酒屋でも見かけますが、あの升ってのは多分「ちょっとサービス」というよりも「こぼす量が均等でなくてもいい」という甘えに見えてしまうのはあたしだけですかね。いや別に居酒屋の店員さん全員にフランキーのような肘下になれなんて言ってなくて、スマートに注ぎたいなら750mlでもいんでないかね、と言いたいだけなんです。というか別にそこまで店員さんに「こぼす量」でとやかく言うつもりはないんです。美味しければいいんですし。

閑話休題。

開けたての一升瓶の底を持って片手で(ノドを持つ介添えの手ナシに)注ぐ人をひとりだけ知っています。
正確に言うと知っていました、です。
まだあたしは酒が呑める年頃でもなく、ただその重たい酒瓶をいとも簡単に「ひょい」と持ち上げ底を持ち直し、「おいおい(茶碗を)出せ出せ」と卓袱台越しに車座の若衆に酒をついでいた姿を眺めていただけだったのですが、幼いあたしはそんな軽がると持ち上げた一升瓶を両手で抱えてやっとだったのでした。
両親の事実上仲人という、通称「山のおじさん」は山梨のとある山にバンガローを持っていて、そこで両親は知り合い今に至るそうです。その「山のおじさん」のバンガローへは小学校にあがる前までに何度か行き、その時に経験した事がその後のあたしを形成している部分があります。
その「山のおじさん」がその人でした。
さがった眉毛にいっつもタオルで鉢巻をしていて、あたしを抱き上げると無精髭で頬ずりをしてくる迷惑なおじさんでした。
山のおじさんはあたしが中学生の時に病気で亡くなったということだったのですが、その時の両親の落胆ぶり、カソリックだった山のおじさんの葬儀(あたしの父も山のおじさんと同じ教会で洗礼を受けているクリスチャンですがあたしは違います)で初めて知ったカソリックの葬儀の荘厳さ、その後あたしが大人になってから聞いた『オトナの事情』、たくさんの思い出というか、おじさんにまつわるエピソードが多くて、「回顧録」なんてタイトルつけたけど全然回顧に至れないほど色々あって。

嗚呼なんだか酔っ払って思い出した事をぶつくさ言ってるだけになってしまった(笑)
すみません。

おじさんが亡くなってから初めて、4年ほど前におじさんが経営していたバンガローへ両親と行きました。
当時の面影がわずかに残る建物が見えましたが、「売り地」の看板と有刺鉄線に囲まれて入ることができず。
それを見た日の夜は、おじさんが亡くなった日の夜と同じく父は早々に寝室に篭りおじさんの写真を飾って呑んでいました。