「山が」

毎度練習曲の話ですみません。
だって仕事か合唱かしかないんだもん。

心の四季の練習については、レクイエムよりも情景を描くことが大切なようです。
歌に心というか感情を乗せるのでしょうか。
(「か。」じゃないな、「です。」なんだろうな)
今日は「山が」という曲。

山が遠くから人の心をとりこにする
人はそのこころを探しに行く
それで身体ごととりこになる

わたしはこの詩を読むと、ある男性を思い浮かべます。
知り合った頃は…なんだろ、登山してなかったはず。登山始めてからしばらく翌日の筋肉痛の話をよくしていたのを覚えているから。
その男性の姿がまさに「とりこ」のようで。
毎週のように山を歩き、おそらくそのテリトリーの尾根はほとんどもう制覇したのではないかしら。
山に呼ばれるように休みになればあがっていき、季節の花や峰々の写真を撮っていて。
大きな杉に会った、観音様を見た、そんな話がブログにあがっていて。

そのブログに残る「とりこになった」心の景色が、譜面を透過して見えてきます。
わたしにとって「山が」は、その男性の撮った写真に見える丹沢の山々で、明るい空と濃い緑の尾根だったりします。

エテルナの見学(その場で入団しちゃいましたが最初は一応見学でしたん)の時に歌ったのでとても印象深い曲の1つですが、
この時にすでに、うめちゃん筆頭にだいちゅけ、ひこタンがよぎったのはまだ1か月ほどしか経っていなかったんだなぁ。

「山が」の光景を想う時、自分があがった富士山や三輪山、大山でもないのは、
わたしが多分山にとりこになっていないからなんでしょうね。
心奪われるほどの「何か」を迎えたいと思いつつも、そんな余裕がないと頭が考えてしまうつまらない人に成り下がっています。

明日からしばらく家を離れます。